わたしの左目は、増殖性網膜症である。
そこまでほったらかしにしていたのは、自分。
わたしの実感としては、視力が落ちてきた程度にしか感じていなかった。
しかしわたしは糖尿病であることをわかった上でほったらかしていたので、なんとなくただの視力低下ではないことも感じていた。
あるとき急な吐き気に見舞われたときに、それはおこった。
なんか、見え方がおかしいのである。
パソコンが見づらい。
どうやら左目がおかしいことに気づき、右目をふさいで電機を見た。
見ようと思った。
しかしその部分だけ見えない。
眼底出血。
「おわった」
と思った。
ついに自分が糖尿病だと認めるときがきたのである。
次の日からの行動派早かった。
近くの病院へ行き、紹介状を書いてもらい、その足で実家へと帰った。
ひでちゃんに告白するときがきたのである。
地元の病院で入院が決まりアルバイトをやめる手続きをとったところで、ひでちゃんに電話した。
でもすぐにはいえなかった。
というより、自分の口から「糖尿病」という言葉を言うことに、かなりの抵抗があり、
「あたしの病気はDMっていうの、パソコンで調べて」
ひでちゃんには結局こういう形でしか伝えることができなかった。
これがそのときのわたしの精一杯の伝え方だった。
「糖尿病」
この名前に、病気に一番偏見を持っているのが何を隠そう、自分なのだ。
しかし、これは自分だけじゃないと思う。
「こんなのなんでもない」
という人が大半なのかもしれない。
でも、そうじゃない、すごく気にする人だってたくさんいるはずなのだ。
そのせいで、わたしのように、治療から逃げ続け合併症を引き起こすまでにほったらかしている人がいるかもしれない。
人間は、わたしは、愚かなもので、失ってからでしか大切なものの存在にきづくことができなかった。
まさか自分がこんな言葉を言うことになろうとは。
名前をかえるだけで、患者が少しでも軽い症状のうちに治療を始めてくれるなら、改名すべきではないだろうか。
症状が進めば進むほど、失うものは増えていく。
失ったものはもう取り戻せない。いくら後悔しても、反省してももう戻ってはこないのだ。
そんな思いはできるだけしないほうがいい。
わたしは幸せなことに、7月にひでちゃんのお嫁さんになることができた。
一緒に暮らして7年。
判れることも覚悟したが、結婚しようと言ってくれたひでちゃんに今本当に感謝している。
わたしは幸せ者だ。
糖尿病に負けそうになることもある。
でももう一人じゃないから、前向きに頑張っていけるような気がしている。