「死」にひきずられた?

今年の初めから実家で生活のリズムを作ろうと、運動療法、食事療法に取り組んでいたときのことである。

糖尿病を受け入れようとがんばっていたわたしは、しかし負い目を感じていた。
そう、ひでちゃんに。
「別れたい」といわれたら、別れるしかないのかなーなんて、後ろ向きなことばかり考えていた。

それがついには、死んだほうが、なんて考えるようにもなっていた。


わたしはいつも午前中は飼っている犬と近くのちょっとした山に、夜は歩いて30分くらいの川まで行っていた。
あるとき父が仕事から帰ってきてわたしにこう聞いた。
「毎日犬と山まで行ってるのか?」
と。
変なこと聞くな、と思いつつ、行ってるよ、とわたしは答えた。
そのときはそれで終わったが、後で父からきいた。

いつもいっている山で自殺があった、と。

いつも頂上近くまで行っていたのだが、その数日前に大雪が降って上までいけず、途中で帰ってきていたのだ。

ところが、そればかりではなかった。

数日後、いつもの夜のウォーキングに母も一緒に来ることになった。
家を出て、いつもの川へ向かっているとその方角にピカピカ光るものがあり、ライトアップか何かかなーとはなしていた。

近くに行ってみるとどうやら工事の明かりみたいだったので、「大変だねー遅くまで」といっていたのだが。

それは川の辺で、何かをしている何台かの警察車両だったのだ。

嫌な予感がした。

警察が川の中に入って何かをしていたのだ。
声が聞こえた。
「白髪の男性。手袋をしている。............」

それは男性の水死体を引き上げる瞬間だったのである。

わたしは背中が寒くなった。

だって、それはわたしだったかもしれないのだから。

ウォーキングで山に行ったときも、川に行くときも「死」ということを考えていたわたし。
どちらにしても、それはわたしであっても不思議はなかったのだ。

わたしが「死」にひきずられたのか。
それともわたしが「死」をひきずってきたのか。

きっとこの二つの事件は、たまたま日付が近く、たまたまわたしの散歩コースで、そしてわたしがその時たまたま死ぬことを考えていた、それだけのことなのだろう。