私は生きてる

小学生のとき、あれは5,6年生だったか。初めて学校の尿検査でひっかかった。覚えているのはなんかまずいことになったという気持ち。それだけだ。
中学に上がり、一年の終りに、町の病院に検査入院。退院後から軽い食事制限が始まった。求職のご飯を三分の二残せ、という指示に反抗することも無く素直に従って三年間を送った。別に暗い寂しい三年間ではなく、とても楽しい三年間だった。
高校三年のとき、夏ごろだったように思う。今度は少し離れた大きな病院に検査入院。とてもこわい先生で入院中の記憶はほとんどない。退院後服薬開始。また言われるがまま、服薬と通院を続ける。
福島の大学に進学すると同時に、治療を中止。【糖尿病」から全速力で、私は逃げ出した。
十年後、目が悪くなりました。合併症の網膜症だとわかったのは、それから一年後に眼底出血をしてからでした。いや、本当は違います。私はわかっていました。でも逃げれるところまで逃げ切ろう。それが十年前から心に決めていたことでした。
眼底出血、入院、食事療法、運動療法薬物療法。目の手術。
いろいろ悩んだけれども、私は生きていくことに決めました。こんなハンデを持った私でもいいといってくれた、ひでちゃんのために。
この日記は私の戒めの為に書いていく。楽しみ、はけ口、いろんなことに活用できたらいいな!