朝のニュース

朝ごはんを嫌々口に押し込みながらテレビをみていたら、

最近の無差別殺傷事件についてやっていた。


『親へぼ恨みが他人に向けられる』のが共通点だそうだ。


全く正反対のことのように思えるが、そうでもないと思う。

親は世間体が第一、と子供が感じているからじゃないか。

だから、その世間で親をどーにかしたいという気持ちの表れではないだろうか。


わたしは少なくともそうだった。

それが他人に向けられることはなかったけれど。

どちらかといえば、『自分が死んだら母親はどう思うだろう、どう世間に思われるだろう』という空想だった。


それを実行に移さなかったのは、祖父や曾祖母、近所の遊び友達の存在だった。

時には慰められ、時には悩む間もなく友達と駆けずり回り、わたしの後ろ向きな空想は空想で終わった。


今の子供たちにはその逃げ場がないのだろう。

これも糖尿病と一緒で、現代病ではないだろうか。


核家族が増える中、親の、特に母親の存在が子供にとって大きな意味をなして来る。

自分も近い将来、子供を持つかもしれない。

そんな日のために、今から少しずつでも考えていかなければと思った。